#思想 Tumblr posts

  • When I was in high school, all I thought about was getting through to the finish line and graduating. I wasn’t like my friends. I never had a relationship. I didn’t really like anyone in high school, at least not in that way. Honestly, I saw no point to dating in high school.

    Sadly now I feel like I missed out on even a chance at a first love.

    Am I too afraid? I dont think I’m willing to let someone put down all these barriers I have worked so hard to mmake for myself.

    I think the biggest barrier is that I am so independent. I may not live lavishly, but I like to think I live comfortably within my means. I am a workaholic, that actually loves having a place go to. I depend on no one buying me things, I buy them myself when I feel comfortable and ready. However, I feel that it’s because I don’t want to feel like I owe anyone anything. I get that isnt the point in any relationship, but to me, it would feel like I would owe anyone. I don’t expect someone to spoil me with material things, I think the only thing I would want is to be able to give them time and for them to give me the same back.

    I just want someone to talk to, have late night conversations, someone to hear all these inner thoughts of mine.

    All the dramas I watch paint such unrealistic expectations on how things really are. As much as we dream, not all of us are lucky enough to get those story book happily ever afters in life.

    Like Monsta X song someone’s someone. I know my someone is out there.

    Wherever he is and wherever we meet. I do hope its soon. I am slow and unaware when it comes to these things. I am super inexperienced, so please be patient with me.

    I hope to meet you soon.

    再见

    다음 시간까지

    次回まで

    View Full
  • 20世紀末に日本のバブルは崩壊した。
    日本がバブル景気の頃は小学生くらいで、
    特にこれといって記憶はない。
    ある記憶といえば、
    ジュリアナ東京のお立ち台で、
    パンチラしている映像がテレビで流れていて、
    興奮している自分くらいである。
    そして中学校に入る頃には、
    バブルは崩壊し、
    高校卒業当時には、
    就職先が全く無いという、
    就職氷河期世代である。
    しかし僕自身は、
    大手製鉄メーカーに就職し、
    全くもって就職氷河期という実感はない。
    当時の私は、
    小学校から高校まで野球少年で、
    甲子園やプロ野球選手を目指し、
    岸和田リトルリーグや岸和田シニアリーグ、
    その後鳥取県へ野球留学し、
    高校卒業後に新卒で、
    大手製鉄メーカーに就職。
    まぁ底辺ながらも、
    普通に生活をしていたわけである。
    しかしその時代を、
    今振り返ると、
    バブル崩壊後テレビでは、
    心霊現象や超能力の番組ばかり、
    挙げ句の果てには、
    とんねるずの番組に、
    オウム真理教の麻原彰晃が、
    堂々と出演していた時代である。
    子供の頃は理解できなかったが、
    バブル崩壊後、
    何も信じる事が出来なくなった、
    日本の人々が、
    超越的な力を求めていたことが理解できる。
    つまり「スピリチュアル」が流行したのだ。
    私は高校で野球部を引退してから、
    ファッションや音楽、
    ストリートカルチャなど、
    最先端のものを追求していた。
    例えば音楽だけの部分でいえば、
    レゲエから入って、
    ヒップホップ、
    パンクやメロコア、
    ソフトロック。
    次はテクノにハマり、
    トリップホップ、
    サイケデリック、
    最終的にはハウスが心地よくて、
    最先端では、
    ハウスに女性ボーカルという、
    様式がブームになり、
    様々なシンガーが産まれた。
    例えばモンドグロッソは、
    一番有名かもしれないし、
    大沢伸一は典型であり、
    また大沢伸一に見出されたシンガー、
    としてbirdは有名である。
    ある程度ハウスでおさまった後に、
    僕はアンビエントなどを聴き出し、
    最後にはノイズミュージックに行き着き、
    オウテカなんかを聴いていたわけである。
    しかしその頃には、
    もう精神は崩壊していたのかもしれないwww
    つまり僕は、
    20世紀末の最先端を体験している。
    それは音楽というものだけでなく、
    グラフィティやスケートボードなど、
    様々なカルチャーを実践していた。
    その上で、
    当時行われた日本でのレイブの原点と、
    言われている「レインボー2000」は、
    ある種衝撃的であり、
    当時行きたかったが、
    行けなかった記憶が鮮明にあるし、
    その会場の雰囲気を映像で観た当時も、
    衝撃でしかなかった。
    これは若者文化の上で、
    スピリチュアルが表層した、
    シンボリックなイベントである。
    つまりアメリカのヒッピー文化を継承し、
    ある種音楽的なウッドストックを体現している。
    テントの中でドラッグをし、
    フリーセックスが行われる。
    ある意味、
    「スピリチュアル」の絶頂である。
    この「レインボー2000」が開催されたのは、
    1996年8月10日。
    オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったのは、
    1995年3月20日。
    「スピリチュアル」と、
    オウム真理教の地下鉄サリン事件の、
    関係性を論じるものは多いが、
    当然このレイブ「レインボー2000」と、
    「スピリチュアル」も関係性は深いのである。
    1990年代にバブル崩壊後、
    「心霊現象」や「超能力」が、
    もてはやされ、
    「オウム真理教」が、
    「神秘主義」や「神秘体験」、
    また「輪廻転生」を原理に、
    「ポア」を行う。
    その様な、
    「生まれ変わり」を根拠に、
    「地下鉄サリン事件」が起こった。
    つまり、
    「スピリチュアル」の行き着いたものが、
    「オウム真理教」であり、
    「地下鉄サリン事件」である。
    しかし、
    現在において、
    この様な「スピリチュアル」が、
    原理として起こった事実を、
    覆い隠しながら、
    再度現在において、
    「スピリチュアルブーム」が起こっている。
    私はその事を非常に危険に感じている。
    ではこれまでの日本での、
    バブル崩壊後の「スピリチュアル」の歴史、
    それを述べてきたわけだが、
    現在においての、
    「スピリチュアル」の現状を述べていきたい。
    私は現在においての、
    「スピリチュアル」は、
    コロナ後の「スピリチュアル」と定義している。
    また現在の「スピリチュアルブーム」は、
    加速度的に広がっていく事を予測している。
    それは「バブル後」の「スピリチュアルブーム」とは違い、
    現在はインターネットが完全に普及している。
    それは何を意味するのか、
    それは「バブル後」の「スピリチュアルブーム」とは、
    違った表層が出てくることが予想できる。
    僕は現在でも一般の方々よりも、
    様々な分野において感度が高いと考えている。
    その様な中で、
    様々なものが「スピリチュアル」な様相を呈している。
    それは「ヒーリング」や「ASMR」の様に、
    言葉をライトに又はソフトにすることで、
    当時の言葉である「神秘体験」や「神秘主義」、
    それらを覆い隠しているのである。
    またファッションなどの分野でも、
    アウトドアやキャンプなど、
    ある種の「自然回帰」を軸に、
    神秘主義や神秘体験への伏線となっている。
    文化的には、
    田舎暮らしや地方回帰などを軸に、
    ファッションやデザイン、
    アートの地方のトリエンナーレ含め、
    ある種の「コンサヴァティブやクラシック」を求める。
    その様な動向には、
    「神秘主義」や「神秘体験」への、
    伏線と考えることができる。
    現在あらゆる領域で、
    イノヴェーションが起こっていると同時に、
    クラシックやコンサヴァティブ、
    つまり古い時代に戻ろうとする、
    強い動向を目にする事が多い。
    これはある種「近代復興」なのである。
    私の持論では、
    「近代」は20年程度前に終わっているのである。
    それはインターネットの普及と同じくしている。
    現在この、
    イノヴェーションを受け入れる人間と、
    クラシックやコンサヴァティブに回帰する人間。
    その二つに大きく分かれている。
    そして、
    後者である。
    クラシックやコンサヴァティブに回帰する人間。
    その人間たちに、
    「スピリチュアル」というものが、
    「近代復興」と共に「スピリチュアル復興」を、
    共にしており、
    その中で「オウム真理教」や、
    「地下鉄サリン事件」が全く加味されずに、
    「神秘主義」や「神秘体験」を、
    原理として他人の人生に立ち入っている。
    僕は現在のこの様な現状に警鐘を鳴らしたい。
    様々な分野に「スピリチュアル」は蔓延し、
    それで利益を得ようとしている人々は、
    まず、
    「スピリチュアル」とは何なのか理解し、
    それをしっかり説明できる知識を持たなければ、
    無責任極まりない。
    まず「スピリチュアル」を原理にしたものは、
    そんな安易なものではないし、
    様々な知識や倫理の上で有効である。
    私が知る限り、
    「スピリチュアル」という原理を使い、
    利益を得ようとする人間に限って、
    知識もなく浅はかな考えで、
    その様な業を行なっている。
    ですから、
    安易にその様な人間や業には、
    近づかないことをお勧めします。
    そして、
    この「コロナ後」の世界は、
    ますます不安定な世界になり、
    ますます人間は不安定な状態に陥ります。
    だからこそ、
    人間は「神秘」という、
    「超越的な力」を求めて、
    「スピリチュアル」を欲するわけです。
    しかし私たちは「人間」です。
    「人間」というものは、
    「飛躍」などしません。
    「人間」は日々の積み重ねでしか、
    変わっていく事が出来ないし、
    それが人間らしさでもあります。
    貴方がいきなり、
    明日違う人格や全く違う性格になっていた。
    それは洗脳であり、
    誰かに強制的に変えられたのであり、
    貴方自身が変わろうとして変わったのではない。
    だからこそ、
    今後確実に来るであろう、
    「コロナ後」の不安定な世界に備えて、
    目の前の現実を、
    少しずつ変えていかなければならないし、
    それが「生きる」という事だと考えています。
    美学者母

    View Full
  • 【SKIN IN THE GAME】

     

     

    自分の発言や行動に、自らリスクを背負っていること。

    リスクを生きる人だけが知っている、人生の本質。

     

     

    View Full
  • I always wonder if I ever cross your mind. Was I even someone of worth to remember? Did I leave any impression of myself on you? I like to think that everyone we meet in life no matter where, no matter the circumstance, that we all leave an impression on each other’s lives. Even the small encounters matter or have some worth to them.

    At the same time I guess I was never worth a second thought or even the initial thought. I always thought I was an open book, but I guess I still am not as open as I should be or even supposed to be. I’m juust not one to say anything until you ask. I never told you my real name either, but who knows you possibly didn’t give me yours. So even if we tried to find each other, it would be a useless search with an outcome we weren’t expecting nor looking for.

    I used to expell this happy vibe, or maybe not just happy, but I was happy and carefree, and I seemed that I had no worries in life, but when I met you, I was going through something I really didn’t want to open up about because I was still processing it myself. I think as time passed, I just learned to live with how things are. They weren’t something I could control so it wasn’t like I was at fault. So eventually I juust learned to live through it.

    I’m not even sure that I have accepted it, but back to topic….

    Do I cross your mind? Like where you’re just thinking randomly, do you spare a thought for me? If I were to be honest, you obviously do cross mine every once in a while, but not in the way you think. When I think about you, I think if I wasnt with you, I would have had the chance with someone who was genuinely interested in me. Before I had feelings for you, I did see him in that light for a bit, but then you came aling and I was interested in you. So I guess him and I had off timing. When you do come across my mind, so does he. Sometimes I wished I wasnt so loyal. However, that isnt in my character. It wasnt 9 years ago and it still isnt today.

    Wah… it will almost be a decade. So much time has passed, yet i feel like ive done so little with my life.

    We can leave that for another entry. My thoughts and words could go on.

    So i will just end it here. I think entries should have typos and mistakes as its just to help you get your emotions out and the typos and mistakes just show the emotion.

    拜拜!直到下一次

    다음 시간까지

    次回まで

    View Full
  • あっ久しぶりの文章。
    まぁちょっと色々あって。
    それで最近色々考えていることは、
    やはり20年以上前に自分が確信して、
    コミュニティや仲間内というもの、
    そしてその中での評価や定義、
    それを信用しない。
    それがこの歳になって、
    改めて間違っていなかったと、
    強く再認しているのです。
    まぁある一定のコミュニティ、
    仲間内、
    もっと言えば組織など。
    その中での合理性や優位性などは、
    私自身も理解している所です。
    どんな問題や目的も、
    そのコミュニティでは、
    そのコミュニティの外では、
    かなり難しいものも、
    できてしまう。
    その様な側面が大きくあります。
    そしてその様な、
    ある種の組織の力を使いたい、
    あるいは自分の問題解決や、
    目的達成の為に利用したい。
    その様な我欲の為に、
    本来興味のない組織、
    例えば「宗教」や「会社」、
    「政治団体」に属している。
    その様な人々も多くいます。
    しかし本当に能力や知恵がある人間は、
    そもそもその様な、
    低レベルに必然的になってしまう、
    組織を利用した、
    問題解決や目的達成を行いません。
    ではどの様な形で、
    次元の高い人間は、
    その問題解決や目的達成を行うのか。
    それがまさに、
    「晒される」
    という「オープンソース」な価値観。
    この「晒される」という作法は、
    組織やコミュニティの外側で、
    様々なものに自らを「晒す」という、
    ある種の「修行」です。
    それは具体的に、
    例えば私がこの様に書いている、
    この下手な文章も、
    「晒される」ことで、
    どんどんと強度を増すわけです。
    私が今回なぜこの様な事を、
    言説しているのかというと、
    直近である問題に対して、
    弁護士を立てるのに、
    友人のツテを頼ったのです。
    私は弁護士を立てる事自体は、
    初めてではないのですが、
    これまでは縁もゆかりもない、
    ある種、
    「晒されている弁護士」に、
    お願いしていました。
    その様に「晒されている」人々は、
    非常にセンシティブに、
    自らの能力や評価を考え、
    自らを研鑽しています。
    しかし今回、
    友人のツテを頼ってしまいました。
    さらに言うと、
    その弁護士と何度か話しましたが、
    まるで話が通じない。
    そしてまるでやる気が無い、
    そもそも僕の法的利益を、
    積極的に守ろうという態度がない。
    僕は呆然としてしまい。
    と同時に、
    この弁護士は、
    「晒されていない」と理解したわけです。
    つまり何かしらの力学によって、
    それは何かしらの繋がりやコミュニティ、
    その様なものによって、
    自分の立場が担保されている人間だと、
    私に対する態度で明確に観えたわけです。
    それは自分の能力や評価を、
    研鑽しなくても、
    弁護士の仕事が集まってくる。
    ここに現在においての、
    繋がりやコミュニティの落とし穴が、
    あるのだと、
    私は考えています。
    現在においての最大のリスクは、
    この様に、
    自分が常にアップデートせずに、
    また研鑽せずとも、
    生きていける環境だと、
    つくづく私は実感しています。
    この状況になると、
    そこにいる当人は、
    もはやそのことに気づけなくなっています。
    現在あらゆるもの、
    政治、経済、科学、司法、立法、行政。
    近代では信用している事が自明なものの、
    すべてが信用できないものになっています。
    例えば、
    警察、公務員、裁判官、弁護士、
    医者、先生、科学者、経営者。
    それらは総じて、
    その言葉の概念に安住できる、
    近代にステータスのあった立場です。
    しかし人間にとって、
    「安住」こそ人間を腐らす原因です。
    そして、
    常に「晒される」ことこそ、
    自らの研鑽を強いる動機はありません。
    私たち人間は、
    常に「組織の外」、「コミュニティの外」、
    「仲間内の外」、「言葉の外」、「概念の外」。
    その外側にいる事から逃げてはいけません。
    なぜならその「外側にしか」、
    自らの「知恵」や「成長」、
    「問題解決」や「目的達成」は無いからです。
    「私」という人間は、
    「私」という人間を強いられています。
    「男」は、
    「男」という性別を、
    「女」は、
    「女」という性別を強いられています。
    「日本人」は、
    「日本人」というものを強いられています。
    つまり私たち人間は、
    生まれ成長していく過程で、
    あらゆる「概念」や「定義」を、
    強いられて、
    私たちが何かを自由に創造する事を、
    犯されているのです。
    つまりそれが「勉強」です。
    しかし私たち人間は、
    成長と共に「大人」になり、
    様々な「体験」をしていきます。
    その上で、
    フィジカルを基に思考する事。
    それが「学ぶ」という事なのです。
    私たちは「体験」を通して、
    本来的な知性や知恵を会得します。
    しかし現在は、
    フィジカルを伴わない「勉強」に終始し、
    それを「知性」や「知恵」と勘違いし、
    大きな失敗もなく、
    学者や経営者、
    裁判官や弁護士、
    先生や医者になるわけです。
    これら、
    「体験」の無い「勉強」は、
    人間にとって何の意味も無く、
    何の機能も果たさない。
    だからこそ、
    現在では、
    近代ではステータスの、
    高かった立場の人間が無能になっている。
    そしてその「体験」とは、
    あらゆるものの「外」でしか、
    その「体験」はできないのです。
    つまり、
    貴方が今観ている。
    この私の言説には、
    言語や言葉、
    文章という外側にこそ、
    「知識」や「知恵」を会得する、
    その体験があるという真理。
    さて「コップ」を観て
    「コップ」以外の可能性を、
    体験できない貴方は、
    「コップ」というものを、
    「コップ」であると、
    強いられているのであり、
    「コップ」以外の可能性こそが、
    フィジカルを伴った「学び」であり、
    「知識」や「知恵」を会得する、
    唯一の真理である事を知らないのです。
    だからこそ、
    私たちは「外で晒される」、
    その事を恐れてはいけないのです。
    美学者母

    View Full
  • (添付図参照)
    まず彦坂尚嘉さんに師事している柳川たみさんに、
    僕のFacebook上でのやり取りをご覧ください。
    あの彦坂尚嘉さんに師事されている方、
    個別に対応している暇がありませんので、
    どうぞお早めにブロックしてください。
    そして結果として、
    柳川たみさんに、
    2020年9月22日現在ブロックされました。
    あの僕も暇じゃないので、
    彦坂尚嘉さんに関する対応はこれにて、
    終わりにしたいのです。
    やはり、
    小さなコミュニティで、
    一人の人間を崇めるというのは、
    非常に危険であると、
    再確認した次第です。
    まず柳川たみさんとの、
    やり取りの流れを、
    論理的に考えたいわけです。
    まず柳川たみさんというのは、
    彦坂尚嘉さんに師事されていて、
    一人のアーティストや作家であるわけです。
    つまりアートという文脈において、
    アーティストや作家として、
    活動している以上、
    そのアートの文脈や、
    作家として、
    批判や批評を受ける。
    その様な事は許容する範疇です。
    それは同時に私の表現の自由とも、
    関係してくるもので、
    この様な事は法律としても、
    全く問題ありません。
    それを前提条件として、
    今回は、
    私のfacebook上にて、
    柳川たみさんの書き込みがありました。
    つまり、
    私のfacebook上に、
    私は柳川たみさんに書き込みを、
    されたのであって、
    私はその対応をしたという事実。
    つまり、
    私は受動的であり、
    柳川たみさんは能動的である。
    まずその様な理解が必要です。
    その様な理解の上で、
    柳川たみさんは、
    私が書いた信仰という言葉が、
    納得できなかった様です。
    しかしそもそも私は、
    信仰というものが、
    「悪」であるとは考えていませんし、
    むしろ「信仰」は、
    人間にとって「重要」である。
    その様に考えています。
    少なくとも、
    私はある一定の組織や教団に、
    入っているわけではありませんが、
    「信仰」という意識を持って、
    私自身の心の支えにしている人や、
    ものはあります。
    つまり、
    柳川たみさんは、
    「彦坂尚嘉さんを信仰している」と、
    堂々と言えばいいわけです。
    例えば私なら、
    「マルセルデュシャン」を信仰しています。
    信仰しているという事に、
    何を恥ずかしさを感じる事があるのでしょうか。
    しかし「信仰」とは、
    多面的な認知を阻害します。
    その様な認知的な問題として、
    彦坂尚嘉さんに対して、
    多面的な意見を言える環境が、
    そのコミュニティにないのではないか。
    また今回の美学者母の排除が、
    それを端的に表しているのではないか、
    その様な問題提起をしただけのことです。
    それに対して、
    柳川たみさんは、
    彦坂尚嘉さんとはイーブンに、
    限りなく近い関係であって、
    信仰では無いと返答しています。
    この返答はより危険なもので、
    私は意識されない信仰、
    つまり「洗脳」状態である。
    その様に発言しました。
    しかし私たち人間は、
    生きている以上、
    何かに「洗脳」されて生きています。
    例えば世界という概念、
    日本という国家、
    法律という存在。
    つまり私達は、
    常に「洗脳」の中を生きているのだ、
    というメタ認知を持たなければ、
    そして批判的精神を持たなければ。
    「自己」というものを、
    見失ってしまうのです。
    つまり私は、
    柳川たみさんは、
    「自己」を見失っている状態、
    その様な状態ではないのか、
    その様な問題提起をしました。
    その様な流れから、
    柳川たみさんは、
    美学者母が排除された事と、
    師事されている人間と何の関係があるのか。
    その様な問いがあったわけですが。
    それは自明で、
    彦坂尚嘉さんに対して、
    批判や反論ができる人間がいるのか、
    というか無理ではないのか。
    という意味で関係があります。
    それは私が彦坂尚嘉さんの意に沿わな、
    その様な言説をし、
    ブロックされた事から、
    私の実体験として問いを投げかけています。
    さらに柳川たみさんの発言を抜粋。
    「表現とは誰かを傷つけること、
    これもともて狭い範囲の言い方であって、
    陰湿にいじめることと傷をつけることは違いますよ。
    貴方の表現は認めません。
    関係ないことでの因縁です。
    私達と彦坂先生が有効的に付き合うことと
    あなたに何の関係があるのですか。」
    えっと結論を言えば、
    「価値観の合う人間で、
    仲良しこよしで、
    やっててくださいwww」
    再度言いますが、
    これは私のfacebookに、
    柳川たみさんが、
    書き込んできて、
    私は受動的に対応していますwww
    だからどうぞ、
    仲のいい人間で傷を舐め合っていればいいのです。
    しかし、
    前回でも投稿した彦坂尚嘉さんの、
    独立美術批判はそもそも、
    論理的に破綻していますwww
    その点は受け止めてください。
    さらにこの様な僕の言説が、
    僕が陰湿にいじめている。
    その様な発言がありますが、
    これは僕は受け入れ難いですね。
    全くもって平等な議論であって、
    また全てオープンソースです。
    一点この陰湿ないじめという妄想がwww
    吹き上がったのではないかというのが、
    私のfacebookの友達になっている方が、
    その日に「民」という元々の漢字の意味を、
    「盲目の奴隷、
    もののわからない支配下に置かれる人々」、
    その様な記事を2020年9月22日に投稿され、
    それを「なるほど」と僕はシェアしたのですが、
    たまたまその時に、
    柳川たみさんと議論をしていて、
    私が柳川たみさんに対して、
    「民」を引っ掛けて投稿したと、
    柳川たみさんの妄想が肥大化している、
    その様に勝手に被害妄想を持たれているのかも、
    と感じましたが。
    そんなにタイミング良く、
    柳川たみさんをいじめる為に、
    その様な記事が流れてきますかwww
    まぁどちらにしても、
    全く関係が無いし、
    それを陰湿なイジメと捉えているのも、
    僕にとっては恐怖でしかありませんwww
    さらに私が柳川たみさんを個人攻撃と、
    公開での侮辱をしていると発言されていますが。
    ここまでの通り、
    美学者母は真摯に柳川たみさんの書き込みに、
    対応しております。
    なんども言いますが、
    柳川たみさんが僕のfacebookに書き込んできて、
    それに対応しているのが、
    個人攻撃だと言うのは、
    ちょっと無理がある様に考えています。
    さらに、
    柳川たみさんを侮辱している所があるなら、
    その部分をお示しください。
    それはもう侮辱罪になりますので、
    警察への通報をお勧めします。
    逆に私が侮辱をしていないのに、
    私が侮辱したという事は、
    私への名誉毀損になりますので、
    これを記録して、
    警察等へ相談する所存です。
    また前述した、
    シェアの記事の「民」と言う漢字の語源を、
    被害妄想で自分自身の批判と捉えているなら、
    それはただの妄想で、
    一切柳川たみさんに対するものでないし、
    その様な発言もしておりません。
    最後に、
    柳川たみさんが美学者母をブロックした事は、
    私の中では結局同類の集まりである証明に、
    なったと考えています。
    現在ではどの様な分野においても、
    異分子同士で組織を作ることが、
    重要であると認識されています。
    私もこれ以上暇では無いので、
    これをオープンソースにして、
    皆様自身がそれぞれ考えていただければ、
    それでいいのではないでしょうか。
    美学者母


    image
    image
    image
    image
    image
    image
    View Full
  • (総括として)
    2020年9 月20日現在として、
    彦坂尚嘉さんにfacebookでブロックされましたwww
    逆にここまで私が思い描いた様に、
    彦坂尚嘉さんが反応し行動すると、
    私的には予想外なのですが、
    結局人間とは弱いものだと、
    再確認できたと考えています。
    (添付図参照)

    image




    さらに添付図の様に、
    過去の「切断芸術運動」のテキストでは、
    ゲストを招いた理由を語っています。
    「閉じられていなくて、開いている必要がある。」
    「この自分のグループの外部の活動も見ている開かれた
    まなざしは重要なのです。」
    しかしその延長線上に「排除」があるならば、
    それはただ単に異分子をスクリーニングするもので、
    「切断芸術運動」は、
    異分子をスクリーニングする「装置」ではないのか。
    私にはその様に思えてなりません。
    実際に私が知っているだけでも、
    この「切断芸術運動」から、
    「排除」や「脱退」された方が数人おられます。
    さらに言えば、
    ここ数年の彦坂尚嘉さんの言動を、
    リアルタイムでフォローしていますが、
    危うさを実感しておりました。
    彦坂尚嘉さんは、
    前衛美術という中でも、
    さらに異分子として活躍されてきた方である。
    私はその様に認識しております。
    この様な異分子が力を持ち、
    異分子が異分子を排除していく連鎖は、
    良い意味でも悪い意味でも、
    「世界の縮図」や「社会の縮図」、
    その様なものを実感するのです。
    私はこの様な事実からも、
    現在まで連綿と続いている。
    「フィクション」を原理とした「アート」から、
    「シミュレーション」を原理とした「世界」へ、
    完全に移行した事を体感しました。
    それはもはや、
    自分自身の、
    「言葉」と「行動」が一致しない、
    人間は生き残っていけない「世界」になった。
    だからこそ音楽の世界でいえば、
    イメージを歌う「ロック」は終わりを迎え、
    リアルを歌う「ヒップホップ」が、
    ポピュラーな音楽になってきたのだと体感します。
    この事実は、
    私がこうなってほしいという欲望ではなく、
    現実としてそうなっているというものです。
    (執著を捨てる難しさ)
    「金」、「酒」、「色恋」。
    「性欲」、「食欲」、「睡眠欲」。
    「地位」、「名誉」。
    人間は様々な欲に執著します。
    それの根本的な原理として、
    私達人間は「イメージ」を生きる事に、
    その「欲への執著」の原理を観ることができます。
    それはつまり、
    「未来」や「過去」に持つ「イメージ」という、
    「虚像」が私達の欲の原理であり、
    その「イメージ」という「虚像」を、
    自分のものにしたい、
    または自分のもののまま守りたい、
    という欲望、
    つまり「我欲」こそが、
    逆説的に「イメージ」の正体なのです。
    そこから、
    「イメージ」に生きることこそが、
    「我欲」に生きることと同じなのです。
    (シミュレーション世界に生きる作法)
    現在において若者は、
    「無欲」であるとよく言われています。
    それは、
    「イメージ」の世界は終わり、
    「シミュレーション」の世界に、
    パラダイムシフトした事を意味します。
    それは現実的に、
    事実として目の前にある問題や課題、
    それが重要であり、
    またそれをサヴァイブし、
    解決していく事、
    それは認識を変える事や、
    実際的な行動を起こす事。
    すなわち、
    自分が持つ問題や課題とは、
    自分が解決可能な問題や課題、
    それを解決する事そのものが、
    「幸福」である。
    つまり「幸福」の定義が、
    他人が創り出した「イメージ」を、
    追いかけることが「幸福」であったものが、
    自分自身が現に目の前に、
    自分自身が解決可能な、
    課題を設定し、
    問題を発見し、
    それを解決していく。
    それが「幸福」という定義に、
    パラダイムシフトした。
    それは、
    他人が創造したのに、
    まるで自分の「課題」や「問題」と、
    思い込んでいる「イメージ」を、
    追いかけても、
    追いかけても、
    そのイメージには決して辿り着かない、
    その様な「イメージ」の世界が、
    幸福と思い込んでいた事が、
    いかに不幸であったのか、
    その現実を、
    現在私たちは目の当たりしている。
    (美術とかアートとかどうでもいい)
    現在使われている言葉としての、
    「アート」や「美術」という言葉は、
    「イメージ」を原理にしているものであるのは、
    私が最近書いている言説でも述べている。
    そしてその「イメージ」の世界は終わっている。
    つまり私にとって、
    私のやっている事が、
    美術とかアートなのかどうでもいいのである。
    だから私は美術の世界や、
    アートの世界にはまったく執著は無く、
    むしろその世界の人だとは、
    思われたくないし、
    見られたくないのです。
    なぜならそもそも私が考えている、
    「アート」とは、
    現在において「アート」というものの、
    「外側」にあるものだと考えているからである。
    つまり私はこの様な言論活動が「アート」だとか、
    狭山美学校やお茶と美という、
    事業が「アート」だというのは、
    そういう原理に基づいてのもので。
    さらに言えば、
    現在のスマートフォンやパソコンで行われる、
    通俗的な創造行為全てが、
    「アート」であると定義されるものであると、
    考えているわけだが、
    それはまだ理解されない事なので、
    イメージの世界の「アート」や「美術」という、
    言葉を使わずには簡便にコミュニケーションできない、
    だからイメージの世界の言葉を使っているだけである。
    だからこそ、
    私は現在においての、
    「アート」や「美術」という言葉の定義に、
    縛られ執著する事に危うさを覚えるのである。
    その典型的なものが、
    今回の彦坂尚嘉さんの、
    「通算44回切断芸術展」の件である。
    彦坂尚嘉さんは、
    アートという定義や概念を広げてきた人である。
    その様な認識から私は尊敬しているのです。
    しかしその彦坂尚嘉さんが、
    現在において、
    アートという定義や概念に、
    縛られ執著している様を、
    目の当たりにすると、
    非常な寂しさを覚えるのです。
    この寂しさは尊敬があるからの寂しさです。
    (現在においての最大のリスク)
    私は今回本当に貴重な機会をいただき、
    心から彦坂尚嘉さんに感謝しています、
    また尊敬もしております。
    しかし人間とは本当に弱い生き物であり、
    自分が居心地のいい場所へと、
    また安全な場所へと、
    ホメオスタシスが働きます。
    私も日々自分自身の弱さに絶望し、
    反省を繰り返しながら、
    アップデートをしています。
    そして人間は「清廉潔白」ではありません。
    悪いこともしてきたでしょう。
    悪いことも考えるでしょう。
    他人を裏切るでしょう。
    他人に嘘をつくでしょう。
    しかし現在においての、
    最大のリスクは、
    「自分自身に嘘をつく」
    それが一番のリスクになる時代です。
    「悪いことも良いことも」
    全て含めて「私」である。
    だからこそ、
    その様な事を隠さず、
    オープンソースに生きていく。
    実はそれが、
    「一番幸せな生き方」
    なのです。
    美学者母

    View Full
  • ー ガリレオ・ガリレイ

    View Full
  • image

    今の生活や仕事や生き方を変えたくない方は多いのではなかろうか。一緒に暮らして、クタクタになるまで、憎み合って別れるくらいなら、別々の場所で暮らしながら、いろいろな人と少しずつ、気持ちを分かち合って、助け合ってという生き方の方が、幸せを願いあえるのではなかろうかと思う。形は時には大事なのかもしれないが、自由を失うこともある。愛が薄いかというとそうでもないような気もする。深くなければ継続できない境地。

    View Full
  • View Full
  • image

    『神は詳細に宿る』養老孟司=著/青土社

    養老孟司待望の新刊である。しかも、出版社はかつて『唯脳論』を上梓した青土社。いやが上にも期待が高まるではないか。題名はアビ・ワールブルクの「わが愛する真理の神は、一つ一つの細部に宿りたまう」という言葉を想起させるが、なんとも養老先生らしい。

    養老先生の名言に、「真理は単純を好むが、事実は複雑を好む」という言葉がある。たしかに真理はいつだっていたって単純だが、でも事実は複雑ですよ、と心のなかで言い返す養老先生が目に浮かぶ。養老先生は、単純な真理よりも、複雑な事実を愛する人なのだ。

    Keep reading

    View Full
  • :,^) why do i mess up and annoy people so much…

    #i wonder if i should out myself as a system so ppl will understand me better #思想
    View Full
  • Don’t want anymore people to get into All Saints Street because people can’t be normal ~.~;;;

    View Full
  • I think about killing myself everyday without fail ♡

    View Full
  • im sorry for being bitter perhaps i should 😳 do more to alleviate my depression

    View Full
  • 【ブリコラージュ】

     

     

    幼少期

    女の子的なお人形遊びよりも

      

    レゴブロックで遊ぶのが

    好きでした。

     

    image

     

    すでに形が作られた

    与えられたもので遊ぶよりも

     

     

     

    自分の力で

    自分の中にある想像力で

    いま手元にあるモノで

     

    そこから自由に楽しく

    どれだけのモノを

    創りだすことができるのか。

     

     

     

     

    小さい頃から

    変わらないんだね。

     

     

    View Full
  • Uses “^-^” “^^” “^_^” because I’m too lazy to do barely naything to get (∩_∩)

    View Full
  • White ppl who steal images from Japanese bloggers and photographers when someone else posts the same ones: WHY DID U STEAL MY IMAGES?!

    View Full