#批判 Tumblr posts

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  • トランプ大統領の注射発言に批判相次ぐ

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  • vtube ぽくやってみた。

    #悪口
    #批判
    #大丈夫
    #特別な存在
    https://www.instagram.com/p/B4lgdqFgkxO/?igshid=1l03xnhijmce8

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  • 今日もまた、
    私の目の前を、
    「ありがとう」、
    「素晴らしい」、
    「良かった」、
    というなんの気持ちもない言葉が、
    軽快に、当たり障りなく、
    過ぎ去っていくのである。

    私はアート活動をしているので、
    例えばフェイスブックなどでは、
    芸術や文化などの情報が多く流れてくる。

    しかしそこで行われているコミュニケーションは、
    「ありがとう」、
    「素晴らしい」、
    「良かった」、
    定型文で十分な言葉で、
    埋め尽くされている。

    身内や知り合いの中で、
    当たり障りない褒め言葉をやりとりし、
    やりとりにはなんの意味もない、
    ただ単なる社交辞令を繰り返している。

    貴方にとって本当に必要な言葉とは、
    一体なんだろうか???

    この世界というのは、
    そもそもそんな甘っちょろい所なのか???

    まぁよくよく考えてみると、
    身内で当たり障りのない褒め言葉に、
    違和感を抱かない人間は、
    その程度の人間なのだろうがだ。

    常にアップグレードしようとしている人間にとって、
    賞賛の声ほど無意味なものはないのである。

    それはただ単に、
    脳の快楽物質を一時感じる位で、
    それは「気持ちいい」のかもしれないがだ。

    どの世界でもそうなのだが、
    「批判」の言葉こそ、
    常にアップグレードを試みる人間にとって、
    「意味」を持つものはない。

    「批判」され、
    「反省」し、
    それを「フィードバック」して、
    「工夫」し、
    「改善」する。

    この様なフィードバックループを繰り返し、
    アップグレードのベースとするわけです。

    日本っていうのは、
    特に芸術に対しての、
    「批判的精神」というものが無い。

    「芸術」というだけで、
    「批判」することが「タブー」になっている。

    「良い」ことだけ言って、
    「悪い」ことは言わない。

    それはアイデンティティを傷つけるから?
    むしろ芸術家にとって、
    「批判」されない方が、
    危機的な状態だと考える。

    日本では通常芸術において議論が起こらない、
    それは「批判」が無いからだ。

    むしろ世俗的に倫理観を逸脱したものには、
    異常なまでの誹謗中傷が巻き起こる。

    私は日本でも常日頃から、
    芸術に対しての議論が、
    高レベルな領域においてなされるべきであるし、
    それを促進していきたい。

    直近でもヤノベケンジの、
    《サン・チャイルド》という作品が、
    問題になったが、
    世俗的な低レベルな議論を受け入れた、
    ヤノベケンジにも疑問を感じる。

    日本人はそもそも、
    常日頃から芸術の批判的議論さえしないのに、
    少しの倫理的問題を炎上させて追放する。
    それに負けたヤノベケンジが
    芸術家として一番問題である。

    もしかすると、
    私たち日本人は、
    「批判」されることに、
    全く耐性を保持していないのかもしれない。

    それは日本人は「芸術」を、
    「芸術」と聞いただけで、
    それは「素晴らしい」のだ、
    という思い込み、
    というか「洗脳」されているからだ。

    日本人にとって、
    「芸術=神」なのかもしれない、
    「触らぬ神に祟りなし」なのだ。

    これは日本文化と言っても過言ではないが、
    「芸術」を「批判」する、あるいは「議論」する、
    ということは、
    ある意味、
    「神」を「批判」する、あるいは「議論」する、
    のと同じ様に、
    不敬なことなのである。

    少なくともアートの本場である、
    欧米では、
    アートを議論することは、
    アートにとって必須の条件でもあり、
    またそれはアートのエレメントでもある。

    しかしこの様な「批判的精神」は、
    アートに限らず、
    あらゆることに言える、
    日本人はあらゆることの「議論」をしない。

    日本人において、
    「議論を嗜む」という「文化」が無く、
    あくまで「ダメダシ」というのは、
    「格」が違う人間がするものだと、
    思い込んでいるのである。

    これはある種「民主主義」の根幹とも繋がり、
    日本においての大きな問題であると考えています。

    美学者母

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  •       中国已经认识到,人才的竞争会超过商业的竞争和资源的竞争成为各个国际富强最重要的决定性因素。各个省市也开始了疯狂的吸引人才政策的大战。我们不但开始吸引海外华人,也吸引外国人。
    吸引人才固然好,但是我们为什么不能自己培养人才呢?我们引以为豪的小学,初中,高中教育,为什么在大学阶段没有开花结果呢?当然,这里面因素很多,但最重要的因素就是我们几乎没有哪个大学专门的教学生批判性思维(Critical Thinking).也许这里的中文翻译,并不准确,这个翻译好像给人的感觉是我们要教别人怎么抬杠。Critical thinking的准确翻译应该是:基于客观事实做出判断。利用Critical Thinking,人们可以去肢解问题成为可被检验的一个个环节。然后用事实去检验这些环节。
          Critical thinking 在西方的高等教育里面普遍存在,应该是一种思维模式的基础设施。所有的问题,都基于这种思维模式。比如你在做一件工作的时候,没有critical thinking的人,往往会跟着别人走,别人让你干什么,你就干什么,别人问你什么,你什么都不知道。而有过critical thinking训练的人,一定会首先问自己,我为什么要干这个细节,它对于我实现最终工作目标有什么帮助?有什么以往的证据表明我这样做这些细节会推出大概率我们想要的结果。
    有了批判性思维,我们就会首先质疑对方所说的话,直到自己通过推理和循证来证明对方说的话有道理。对于那些越对未来影响大的判断,就需要越多的循证和推理。比如,一个高考后的学生,在考虑报哪个专业的时候,没有批判性思维的人,就会听别人去说哪个专业可能好,去报哪个。而有批判性思维的人,会去调研每一个专业的就业,以及它相关就业的报酬,工作性质,工作压力等等,再去判断哪个专业是符合你的未来对人生的追求的。
          用在医学生,更是这样。医生对病人说的每一句话,每一个临床判断都是基于证据,而不是臆想。这就是所谓的循证医学和批判性思维的关系。比如一个女性,肚子疼,到底需不需要做检查,是做B超,还是做CT,还是验血,还是核磁,应该依靠的是以往多年案例的循证,而不是单一一个医生所谓“经验”的臆想。如果这个医生会做的只是,让你把所有的检查都做一遍,其实他存在的必要性以及不大了,他最多是个医学秘书的水平,会开化验单,会开影响学检查单。
           中国大学教育有了批判性思维,那么出现科研型人才的可能性就大很多。因为科学本身就是一种批判性思维。即使社会科学,现在批判性思维也在越来越多的运用。法律就是一个最好的例证,通过循证来推断当时的事实。

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  • 现在大学,我更喜欢漂亮的女生,一方面是因为漂亮,另一方面是因为那些相貌平平的女生竟然更矫情,让我恶心。

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